大窪寺

 大窪寺は、714年に行基菩薩が、前山地区の長尾女体山の麓、古大窪(ふろくぼ)と呼ばれた場所に、人々の苦難を救おうと建立しました。

 815年には、弘法大師が、今の奥の院「胎蔵ヶ峰寺」のある場所に、大窪寺を復興させ、その後、現在に場所に移りました。 

 大窪寺の正式名は、医王山(いおうざん)遍照光院(へんじょうこういん)大窪寺と号します。また、四国八十八ヶ所八十八番札所結願の寺でもあります。四国遍路の旅を終えた遍路たちは笠や金剛杖をこの寺に納めて帰路につきます。

 弘法大師の徳を慕って訪れる人は後を絶たず、本堂はじめ、大師堂、阿弥陀如堂、水かけ地蔵に立ち並ぶ人が多く、その信仰の強さをうかがわれます。

 また、春は藤の花、秋はイチョウやもみじの紅葉、冬は雪景色と自然を満喫できる場所でもあります。

○行事

・柴燈大護摩供養(さいとうおおごまくよう)

 大窪寺では、3月の春分の日と8月の山の日に、境内で護摩が焚かれ護摩供養が行われます。

 およそ800年の伝統があり、参拝者は立ち昇る炎に向かって家内安全や、無病息災を祈願します。また、四国八十八箇所で結願したお遍路さんが納めた金剛づえや札なども燃やされます。燃やした後は、火渡りの儀式が行われ、渡る人は「家内安全」や「無病息災」を願います。

■場所:香川県さぬき市多和兼割(たわかねわり)

奥の院「胎蔵ヶ峰寺(たいぞうがみねじ)」

 奥の院は、大窪寺から長尾女体山へ続く道「四国のみち」をひたすら登っていた先にあります。昔、弘法大師が求聞持(ぐもんじ)の法を修したと伝えられる岩窟があり、そこに今の胎蔵峯寺が建てられています。

 胎蔵ヶ峰寺は、さぬき市指定史跡の「大窪寺奥の院信仰遺跡」となっています。

○奥の院にある史跡など

・ご利益ある水

 最初、弘法大師は建立した際に、岩山のため仏様に供える水に困り、独鈷(とっこ)と呼ばれる道具を使い岩をついたところ、水が湧き出したそうです。この水は、水面に金色や銀色の幕を張ることから「金水」「銀水」と呼ばれたそうです。

 

・名前のある岩

 現在は、落石で行くことはできませんが、奥の院の西側にセリワリと呼ばれる二枚の岩の間を通る修行場があります。人一人がやっと通れる場所で、昔、修行していた人が邪心を持ったまま通り、岩が迫って来て動けなくなったそうです。翌朝、清めて祈願すると岩がもとに戻ったと言われています。

 また、ノゾキ岩と呼ばれる岩があり、岩の割れ目からそれを覗けると言われています。この岩には、弘法大師が杖で書いたという梵字(ぼんじ)が7字、岩に刻まれていると言われています。そのほかに奥の院には、弘法大師の衣かけ岩、袈裟(けさ)かけ岩・腰かけ岩と呼ばれる岩もあるそうです。

■場所:女体山の中腹

 奥の院への行き方について、『女体山・矢筈山ハイキングコース』をご覧ください。

<参考文献>

 「ふるさと長尾 歴史の町・新しい町・長尾」 長尾町

 「改訂 長尾町史(下巻)」1986年 長尾町史編集委員会

 古大窪の案内看板